休日に日経先物

「大勢」といわざるをえないように、「大勢」とは別に「たたかう春闘」に全力投球している勢力が厳然として存在することを経団連も認めざるをえないところが面白い。
以上のように「報告」は言いたい放題であるが、ポイントは労使関係の「個別化」ということだ。 資本対労働組合という集団的な労使関係は、利用価値があるかぎりで形骸化して残し、実質的には「資本対労働者個人」へと労使関係を「個別化」し、これにより資本の専制支配を確立したいこれが経団連・財界の野望である。
これは「春闘つぶし」にとどまらない。 「労働組合の否定」である。
きな臭い雲行きとも重なり、ぞっとする。 断じて、そうさせてはならぬ。
以上、経団連「報告」の春闘に直接かかわるところを中心にみてきた。 これらも財界戦略の重要な部分を構成するが、言及するスペースがない。
「報告」の「多様な価値観が生むダイナミズムと創造をめざして」というサブタイトルにだけ一言する。 そのねらいはなにか。
融通無碍な徹底差別による支配強化だ。 これは、われわれを正規と非正規労働者、労働者と「独立SOHO」、男性と女性、若年層と高齢層、日本人と外国人などと徹底差別して支配する思想的・実体的な仕掛けを社会的につくり、これを変化への柔軟な対応装置とすることで企業・日本資本主義の「ダイナミズムと創造」を追求するという戦略である。
その企業レベルの手法が「ダイバーシティ・マネジメント」であり、労に「幸せ」を、使に「成長」をもたらすという「ハッピーな物語」に仕立て上げられている。 以上、95年から03年までの「報告」を批判的に検討してきた。

そこからさまざまなことが浮かび上がるが、ここでは一つだけ指摘しておきたい。 「パイの理論」が破綻し、「労使協調主義」が終駕に向かっていることを財界も強く意識している、ということだ。
かれらは「パイの理論」に代わる「労使協調主義」の仕掛けをつくろうと懸命に模索しているが、労働力の流動化・賃金の成果主義化などを無慈悲にすすめながらでは、どだい無理である。 「報告」が労働者・国民に対する攻撃を強めれば強めるほど、みずからを孤立させている。
労働運動発展の条件を拡大させている。 皮肉な結果ではないか。
財界のすすめる「新自由主義改革」「構造改革」には展望がないということが、「報告」の時系列的検討からも明らかになったはずである。 春闘の「新しい段階」とはどういう意味か。
後述のごとく、とても深刻な段階である。 ちょっと春闘の歩みを振り返れば、すぐわかる。
高度経済成長期の春闘の発展・高揚期は、「管理春闘」でストップがかかった。 「管理春闘」とマスコミが命名したのは80春闘からであるが、実際「構造改革」が雇用・賃金・労働時間問題を深刻にし、福祉・社会保障などを削減し、労働者・国民の苦しみを増幅させてきたことについては、すでに述べた。
本章では、「構造改革」・「新自由主義改革」にストップをかけ、ゆとりのある「福祉重視社会」を実現するための運動を担う労働組合・労働運動の役割・課題について述べる。 同時に、労働運動発展の条件が急速に形成されていることを強調する。
75春闘から「管理春闘」になっていた。 「管理春闘」の含意は、要求・たたかい方・妥結に至るまで春闘が財界に「管理」されている、ということだ。

むろん、財界・支配層だけで春闘を「管理」できるものではない。 かれらからみた「敵陣」に、つまり労働運動のなかに「協力者」がいなくては「管理春闘」は成り立たない。
そのような「協力者」が運動の内部に存在し、75春闘から公然と「賃金自粛」路線を打ち出した、ということだ。 こうして「管理春闘」がバブル崩壊期までつづいた。
90年代初頭になると、財界・支配層は「管理春闘」の必要さえ感じなくなった。 すでに「春闘を制覇した」という認識のもとでは、「管理春闘」の利用価値もなくなった、ということだろう。
だから、そのころ財界の内部で「春闘卒業」論がかまびすしかった。 だが、かれらのなかの「知恵者」が「春闘学習会」論を唱え、以後春闘の大半は、財界の主張・言い分の「宣伝の場」と化した。
すなわち、春闘という伝統的な場を利用して、いかに日本経済や企業の状態が厳しいか、このようなときに賃上げなど主張する労組がいかに愚かであるかなど、要するに春闘を財界サイドの「宣伝の場」に利用した、ということだ。 この「財界の学習会春闘」の時期が90年代末までつづいた。
この「学習会」は国家権力やマスコミを動員しておこなわれ、その「マインド・コントロールカ」は絶大であった(それに圧倒されたのか、「たたかう労働組合」と自認していたところでも学習会に消極的になっていったように見受けられる)。 ところで、2000年ごろになると、デフレ下の春闘で賃下げが現実化し、財界は「学習会春闘」の利用価値すら認めなくなっている。
こうしていま、文字どおりの「春闘つぶし」・「春闘廃止」攻撃が「春闘無駄」論を背景に湧き上がっている。 これに呼応するように、労組サイドでも、春闘を止める、賃上げ要求をしないなどという「腰抜け対応」が目立つ。

こうして03春闘は「賃下げ春闘元年」(すでに年収減がつづいている)になる危険性を、一方で多分にはらんでいた。 後述のように、財界・資本サイドは、今後一段と、「賃金決定の個別化」・「春闘の個別化」をおしつけてくるだろう。
それが定着すれば、春闘は消滅だ。 「バラバラ春闘」を春闘と呼びつづけるのは自由だが、そんな「郷愁春闘」は正直にいって春闘ではない。
そうなりそうな「崖っぷち」に際会しているという意味で、いま春闘は「新しい段階」を迎えている。 だが一方、春闘発展の可能性も小さくない。
賃金など当面の経済問題だけを課題にするかぎり「負け」は決まっている。 「福祉重視社会」の建設、目前に迫った戦争の危機、腐れきった政治とのたたかいなど、これらを春闘が「真に自己の課題として」たたかわれるなら、展望は確実に拓ける。
こういうリーダーシップがとれるところはどこか。 答えるまでもなかろう。
そこに期待するほかない。 1998年から連続で「年間賃金」が減少しつづけている。
官民ともにそうだ。 ついこの間まで、春がくると賃金は上がる、というのが「常識」であった。
このままだと数年後、「春がくると賃金が下がる」という「新たな常識」ができあがるかもしれない。 いまそんな雲行きである。

なぜなのか。 ここでちょっと、賃金はどのようにして決まるのか、原理にたちかえって復習しておこう。
つぎの賃金は、「標準的な生活費」(労働力の価値)を基礎としながら、直接的には、労働力商品の需係、労資の力関係によって決定される。 そもそも「標準的な生計費」には「幅」があり、それをもってただちに賃上げ要求の根拠にはできないが、そのことを確認のうえで、ここ数年の状況・推移をみると、たしかにそれは下降傾向にある。
いうまでもなく、デフレが大きく影響している。 結局一般的には、前記の賃金決定の「基礎」が労働者に不利に作用している、といえる。
もっとも、社会保障の後退で医療費など各種の負担が増大しており、実際の生活費は増えているケースが多い。

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